私はどうしてこう考えるのか、「寝ながら学べる構造主義」

2019年1月9日

自分は構造主義っぽい考えかたをしていたのかと、

内田樹著「寝ながら学べる構造主義」

を読んでいて発見しました。

最近のイノベーション/インターネット/ビジネス系若手論客の話を聞いていても、構造主義が役立つように感じることが多くて、哲学をかじったほうが世の中の未来が見えやすくなるんじゃないかと思ったりしています。

 

スポンサードリンク

構造主義とは

構造主義の説明について、怠慢ではありますがWikipediaから引用しちゃいます。

広義には、現代思想から拡張されて、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す語である。

私のざっくり理解では、どうやって物事を分析するか的な話です(ほんとにざっくり)。

 

私の構造主義

「これは本当に当たり前なのかなー」

と疑問を感じた時、私は少なくとも

「これは他の地域でもそうだろうか?」

「これは違う時代でもそうだろうか?」

と考えることにしてるんですよね。

そうすると案外、当たり前のようだったことが当たり前じゃなかったことに気づいたりするわけです。

同じことには言語と発想の関係にも言えて、フランス語を話しはじめてからというもの、

「この発想って日本語に特有?」

「この発想ってフランス語の構造に由来してる?」

と考えたりするんですよね。

という話をしたら、哲学系フランス人ふたりから

「構造主義じゃん(笑)」

と言われました。そーか。

 

構造主義まわりの哲学者たち

そんな私が「寝ながら学べる構造主義」を読んだら、

「それ思ってた!」

ということがどんどん出てきて、大変おもしろかったのです。

この本は構造主義の本当に親切な入門書なので、代表的な人たちの思想について、掘り下げすぎず、簡単にレクチャーしてくれます。

たとえば。

 

フェルディナンド・ド・ソシュール

「『肩が凝る』のは日本人だけ!?」

というのも、アメリカ人は肩が凝らずに「背中が痛む」らしいのです。

外国語と格闘してる人は特に、言葉と発想の関係についてかなり興味深いところがあると思います。

 

ミシェル・フーコー

「身体も一個の社会制度である」という箇所の、日本人の伝統的な歩行法がどうして廃止されたのかという話がとくに好きです。

私たちの日常の身体の動作さえ、自分の思い通りになっているわけではないんですね。

 

ロラン・バルト

「コピーライト」あるいは「オーサーシップ」から、「オープンソース」への転換というところ。

いわゆる著作権は、作者がその作品を「ひとりで作り上げた」ので「ひとりで権利を保有する」という前提に立っていますが、バルトは

「それって本当に作者がひとりで作ったわけ?」

と疑問を投げかけます。

その時の社会の状況であるとか、このあいだ誰かに聞いた話とか、昨日読んだ本etcの集合がその人の作品になってるんじゃないの、と。

 

クロード・レヴィ=ストロース

サルトルを粉砕して(私が)大興奮!

 

ジャック・ラカン

幼児が鏡に映っている像を「私」として認識するのを「鏡像段階」といいます。

人間はその段階を経て「私」を形成していくわけですが、そこで抱え込む「つけ」の話がぐっときました。

鏡で自分の顔を見る時、写真で自分の顔を見る時の、そこはかとなくしつこい違和感の原因ってひょっとしてこれかも。

 

考えかたを考える

考えかたについて考えるのって楽しいですよね。

このところ、世の中でも

「常識を疑おう」

「オープンソース」

なんて言いますけど、構造主義まわりの人たちはそのようなことをずっと前に言ってたんですね。

堀江貴文のベストセラー「多動力」も、ドゥルーズの「ノマド思考」に時代が追いついたんじゃないか?とどっちも読まずに予想してるんですけど。←読んでください

というわけで、哲学をかじると、一見関係なさそうに見えても、世の中のある最先端への最短アクセスになるのではと思うのでした。

 

スポンサードリンク
スポンサードリンク

本の感想

Posted by しほ