Final Fantasyのストーリーと音楽について好きなことを勝手に書く会

外出制限中にFinal Fantasyをアプリで2本クリアしました。これでFF1からFF9まで、FF3以外はひととおり手をつけたことになります。

子どもの頃は天野絵が怖くてドラクエのほうに親近感を持っていましたが、最近はすっかりFF派。PS2以降はそもそもハードを買わなくなったりでゲームから遠ざかっていましたが、大人になってからやってもFFいいなあ、と思います。

そういうわけで、ここはFFに興味ないね的な人には全く面白くない超個人的な感想ページです。私はとにかく音楽も大好きなので、ゲームの感想(主にストーリー面)とお気に入りの曲について延々好きなことを書いてます。音楽についてはきりがないのでなるべく絞りつつ。

 

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もくじ兼プレイ経験

プレイしたナンバリングタイトルは以下です。思ったより本文が長くなってしまったので、もくじとして置いておきます。

ネタバレありですが、大筋で話がわかっていたとしてもプレイ中のディテールの楽しさが損なわれることはないので、未プレイで読んでも大丈夫です。たぶん。

 

Final Fantasy Ⅰ:iOS版でクリア

これはあれです、経験としてよかったです。FFシリーズはこうしてはじまったのね、という。

パーティのキャラクターに固有性がないので、キャラクターへの感情移入については主人公にセリフがないドラクエの感覚に近いです。パーティメンバー4人のジョブも開始時に自由に設定でき、ご一行のキャラはひじょうに薄め。

しかしステータス画面や戦闘画面といったシステム面、クリスタルのある世界観、おなじみのテーマ音楽といった要素でFFシリーズの開幕を感じられます。

 

FF1の音楽

FF1といえば『カオスの神殿』と『マトーヤの洞窟』ですね。『カオスの神殿』はリメイク版が好き。

フィールド音楽はどれも(徒歩、船、飛空挺)明るい雰囲気です。『カオスの神殿』など一部の例外をのぞいて全体的にわりと元気いっぱいな感じ。『マトーヤの洞窟』も最初の8小節(ですよね)のあとで突然明るくなるし、ループ前にさらに陽気さが増すし。最初に聴いたときはそこが唐突に感じてしばらく慣れなかったのですが。

FF音楽の顔である『プレリュード』と『メインテーマ』(『Final Fantasy』や『オープニング』など作品によって表記はいろいろ)が第一作目にしてできあがってるのが尊いです。

 

Final Fantasy Ⅱ:iOS版でクリア

FC版はやたら難しいそうですが、iOS版はバランスが良くてとても好きです。キャラクターの成長システムがFFシリーズの中でも異色で、そのために好き嫌いのわかれがちな作品のようですね。でも理解すれば楽しいしあんがい楽でもあります。今は攻略情報があちこちでただ で拾えるから、FCの時代に比べればハードルがだいぶ低くなっていて楽しみやすいというのもあるかもしれません。

FF2はキャラクターの成長にかんしてレベルという概念がなく、バトル中の行動や移動中の魔法使用でステータスや熟練度が上がって強くなっていくというシステムです。「やれば上達するしやらなければそのまま」って妙にリアルでいいじゃないですか。剣を振れば剣の熟練度が上がって攻撃力が増えるしケアルを唱えればケアルの熟練度が上がって回復力が増えていくという。ただしアルテマは思ったほどは強くなりません。

今回からパーティのキャラクターにデフォルトの名前もついて、キャラクターごとに個性もあってそれぞれの口調でしゃべるので、ストーリー性が出てきてぐっとゲームに感情移入しやすくなったんじゃないかと思います。フリオニールの反乱軍における有能さと裏腹のアレな迷言とか、皇帝の簡潔かつすがすがしい悪役ぶりと伝説的な断末魔の叫びとか、たいへんぐっときましたし印象的でした。ゴクッ…

当時の容量の少なさが原因で会話は必要最低限ですが、それでもキャラクターごとの個性がうまく出ていてなかなか味わい深いものです。

個人的にはレオンハルトまわりの設定がリアルに人間的だと思います。「世の中を支配するものは力」といって皇帝につくところとか。現実の世界でも「世の中を支配するものは金と権力」と思って悪事に加担する人はいくらでもいるわけですしおすし。レオンハルトはそれでも最後には主人公たちと一時共闘して目的を果たすのですが、いちど正反対の道をたどってしまった彼らはもう、昔と同じ関係には戻れない。そういうところも、子ども向けのハッピーエンドとは一線を画すほろ苦さです。

といったちょいちょいリアルで絶望的な状況の中で、光の戦士でもなんかのハーフでもないリアルな一般庶民が、逃げまどい、死の淵から救出されてギリギリよみがえり、仲間が死にまくるリアルな激戦(FF4と違って本当にみんな死にます)をくじけず地道に戦い抜き、詐欺や誘惑にまんまと引っかかり、袂を分かった仲間と再会してあんのじょう微妙な空気になり、しかし喫緊の目的のため他にどうしようもないので協力し、虫けら庶民なのに力をあわせてついに皇帝を倒すというのが、容量の少ないゲームのわりにやたら人間くさくてどうも好きなんですよね。シンプルで悲劇的なストーリーの中にある妙にリアルな希望の美しさというか。

合言葉が「のばら」なのもいいですよね。「ばら」じゃなくて「のばら」なんですよ。お庭で手をかけて育てられている「ばら」じゃなくて、そのへんに自生している、野生の生命力のある「のばら」なんですよ。反乱軍の草の根感、主人公たちの普通の人感が出ててひじょうに良いではないですか。最終的には皇帝に「おまえはいったいなにもの」と言わしめるんですけど、あくまで「のばら」なんですよね。そこがまた良い。皇帝はあれだ、蘭系っぽいし語感的にもデンドロビウムとかじゃね?(花言葉:わがままな美人)

というわけで賛否両論あるFF2ですが私は大好きです。一周目でシステムをきっちり理解したので、二周目はミンウが仲間になった直後にミシディア地方で修行して俺つえー感を楽しんでいます。ほぼほぼ強くてニューゲーム。

 

FF2の音楽

FF2の音楽は捨て曲が全然なくてどれも好きなんですが、やっぱり『反乱軍のテーマ』ですね。この悲壮感が物語にぴったり合致していて素晴らしい。フィールド音楽も物悲しくて素敵です。

FF2の曲は全体的に暗くて美しくて(『古城』)、ところどころエキゾチックな感じ(『ダンジョン』、『魔道士の塔』)がします。ラストダンジョンの『パンデモニウム城』もメロディがきれいで勇壮で、それでいてやっぱりどこか悲しいんですよね。FF5のラストダンジョンの勇気りんりんな感じとはまた違う盛り上がり。FF5だとなんか勝てそうな気がするんだけどFF2だと最悪死にそうな気がする。ラストバトルの『戦闘シーン2』も緩急があってループ前の盛り上がりもかっこいいです。

FF2の音楽はトーンが全体的に落ちついていて、ストーリとあいまってなにかいつも悲哀がつきまとうんですが、それがどうも美しくて好きです。

 

Final Fantasy Ⅲ:未プレイ

これだけは全然触ったこともありません。iOSアプリを買ったのでそのうちプレイ予定。

 

Final Fantasy Ⅳ:SFCで挫折

中学生くらいの時に挫折しました。「モルボルはやばい」ということをガツンと学んだはじめての作品。もうちょっと難易度が低ければねぇ。キャラクターもなかなか魅力的だったし。

スピンオフ作品での扱いやNHKの投票などをみるにつけ、どうも主人公のセシルよりカインのほうが人気があるようですね。これにかんして、社会学の本で歌舞伎の用語でいうところの「立役」と「二枚目」の概念を使って日本映画のヒーロー像について論じているもの(資料)を見つけました。若干長くなりますが、「映画的」な演出が評判をとったFFのヒーロー像について考える時に参考になるかもしれませんので、ちょっと紹介。

この論では

  • 立役タイプを「心身ともに強くて逞しく、度胸があって我慢もできる正義派」、「ラブシーンはほとんど演じないか、演じても極端にひかえめ」
  • 二枚目タイプを「男らしさの不足している男性、つまり少々柔弱そうな優男がやると決まっており」、立役のやらないラブシーン担当

と定義しています。そのうえで、欧米と日本の映画におけるヒーロー像の違いを以下のように論じています。

欧米の映画、とくにアメリカ映画において、(中略)日本の辛抱立役に相当する役柄を得意とするスター男優たちが、同時にほぼ一貫してその役で恋の勝利者を演じるきまりになっていることと、[日本映画のヒーロー像]はいちじるしい対照をなしている。

(中略)

[日本映画では]ひとつの役に両方のキャラクター(投稿者注:立役と二枚目)を統合するということは滅多にない。稀にやるとどっちの型にも属さない半端な演技になってしまう。強いはずの侍が、どうやったら女に甘い顔ができるか。ラブシーンをねらうのならまず姿勢や表情、立ち居ふるまいまで二枚目ふうに変えて出直さなければならないのである。

このくだりを読んで、FF4でいうとカインは立役でセシルは二枚目かなと思ったら、カインの人気に納得がいくような気がしました。

日本人には立役のほうが広く受けるというか、二枚目のことは「チッいけすかねえ奴」って思っても立役が嫌いという人はそんなにいないですよね。なんかこう、三船敏郎さんや高倉健さん的な役柄が嫌いな人ってあんまりいないじゃないですか。

(中略)[欧米の映画のヒーローは]西ヨーロッパの中世に流行した騎士道物語にさかのぼることができる。そこでは騎士すなわち名誉ある勇者は、武勇で名声をあげるだけでなく、つねに誰か貴婦人を崇拝し、愛していなければならないというきまりになっていた。これがヒーローというものの原型である。

ヨーロッパの物語には伝統的に「高貴な女性に思いを寄せる騎士」というパターンが続出します。ということは、欧米のプレイヤーのあいだでは騎士として意中の女性を守り愛情表現もストレートなセシルの人気はもっと高いのではないかしら。おれはしょうきにもどった事件を乗り越え、感情を抑制しながら戦いに向かうカインの硬派な魅力はとくに日本人のハートに刺さるような気がします。どうでしょう。

などと思いつつ、クリアし損ねているのでいつかiOSでやりたい気持ちはあるんだけど、リメイクがポリゴンなのが難。SFCのドット絵が好き派です。

 

FF4の音楽

FF4も捨て曲なしですね。バトルの曲も通常戦闘からボス戦まで全て名曲。秀逸。

フィールド音楽も少し淋しくてひじょうに好みです。FF2のフィールド曲が強いられた運命の悲壮感だとすると、FF4はそれよりはいくらか主体的に冒険に出ることを選んだゆえの凛とした孤独という感じ。

『紅い翼』と『巨人のダンジョン』も戦いの緊張感が大変かっこよく、『愛のテーマ』もアレンジしがいのあるメロディがひじょうに美しく、FF4の音楽はどれも素晴らしいと思います。

 

Final Fantasy Ⅴ:SFC・iOS版でクリア

FF5はわりとリアルタイムに近い時期にやって、その頃は小さかったのでどうしてもギルガメが倒せなくて詰み(強制イベントじゃなかったのに)、のちにもうちょっと大きくなってからクリアしました。

開幕から冒険感がやたら盛り上がりますね。チョコボに乗った旅人、お姫様、海賊、そして記憶喪失のじいさん!ストーリー性が薄いって言われがちだけど、FF5はあのいきあたりばったりの冒険感がいいんですよね。先の見えない感じ。飛びながら着地先を考える感じ。超バッツ。帰ってこられるかわからないのに第二世界に飛び込むときなんか、ねえ。すごい大冒険じゃないですか。超バッツ。

そんな感じで基本的に明るく朗らかなトーンで進む話ではあるんですけど、船の墓場とかカルナック城脱出とか古代図書館とかロンカ遺跡とか封印城クーザーとか、子ども心にけっこう怖かったです。ダンジョンのミステリアス感というか緊張感は案外高めではないかと思われる。

それからFF5といえばジョブシステム。「このキャラはどう育てようかなー」というのが楽しいんですよね。とはいえ結局は石像を金の針で狩り続けて全員すっぴんマスターになるんですけどね。せっかくそこまでやりこんだのにもかかわらず、ラスボスはただの二刀流みだれうちからの銭投げで瞬殺です。

ところで実生活でもいろんなことを経験したり勉強していくとすっぴんの地力が上がったなって思いませんか?私は「ついにフランス語L5…」とか思ってウフフってなります。定期的にジョブチェンジして中途半端にアビリティを増やすのも好きです。ウフフ

 

FF5の音楽

『はるかなる故郷』のはるかなる故郷感がすごい。「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」って感じがしますね。この曲を聴くためだけに故郷の村に滞在したよ。

FF5も名曲が多いですね。『メインテーマ』の風をきって走るようなわくわく感ときたらもう。それから、クリスタルが物語のキーで風・水・地・火の要素が繰り返し出てくるんですが、『ダンジョン』の水感とか『古き土の眠り』の土感とかもすごいですよね。砂丘みたいなところに行って足もとを流れる砂を見た瞬間、頭の中で『古き土の眠り』が流れましたもんね。

それから第二世界のフィールド曲の『未知なる大地』も小さい頃の初回プレイから好きです。「ここどこ?」っていう心細さと、第二世界の湖沼が多くて空気が靄って青みがかっているイメージにぴったり。

締めくくりの『親愛なる友へ』は感動的なエンディングの立役者ですね。この音楽がなかったらエンディングはもっとずっとあっさりしてたんじゃないかと思うよ。基本はあたたかくやさしく、だけどときには悲しいこともあるFF5のエンディングにぴったりな名曲。

 

Final Fantasy Ⅵ:iOS版でクリア

リアルタイムの頃は近所の友だちが持ってなかったし天野絵が怖かったしでスルーだったのですが、大人になってはじめてプレイしたら面白かったです。

FF5から演出が進化して、戦闘中にキャラクターが画面内を移動して小芝居会話をはじめたり、敵を囲んだり敵に囲まれたりして、おおってなりましたね。それからミニゲーム要素がだいぶ増えていたのも工夫だなあと思いました。パーティを分割したり、オペラ公演を成功させたり、うまいさかなをとったりetc。

噂どおり戦闘はイージーモードだったので、さくさくとストーリーを楽しみました。それぞれのキャラクターにそれぞれの背景があって、イベントをこなしていくうちにだんだん愛着がわいてきます。それで最終的にはお気に入りのキャラクターを重点育成してラスボスを倒す、と。

私の最終パーティはフィガロ兄弟とセッツァーとリルム。フィガロ兄のエドガーはスマートかつストーリー進行においてなにかと有能、それでいて堅苦しくない素敵なキャラクターで、戦闘面でも優秀。兄弟が仲良しなのは最高に良いことなので弟のマッシュも外せません。そもそも強いし。セッツァーは潔い性格に好感がもてるしモデルが大槻ケンヂらしいし、例の飛空挺浮上シーンはFF6を代表する名場面ですね。リルムは挙動の可愛らしさと口の悪さのギャップが素晴らしい。やんちゃすぎる口調から優しさが滲み出まくってて、そういうのがどうも好きです。リルムがダメージカンストアルテマでボスをばったばたなぎ倒す姿を見てやっとミンウが浮かばれた感が…ウッ。

FF6は14人の主要キャラクターが全員主人公ということで、こういった「毎回新しいことをやろう」というのがFFの良さですね。ところでティナが主人公代表なのはまあいいと思うんですけど、次点はロックよりはエドガーじゃないですか。エドガーの活躍ぶりは明らかにロックを凌駕してると思うんですよ。前半のシナリオでもケフカを出し抜くし、指導力が際立ってるし、帝国の罠を見破った情報も彼のおかげだし、後半のシナリオでもやることやりつつ「本当の悪はケフカ」って言って冒険に必ず加わるあたりがブレてないし(マッシュも「打倒ケフカ」がブレてなくて偉い)。FF6はフィガロ城脱出までがオープニングで、主人公の中の主人公はエドガーでいいと思います(独断と偏見)。

しかしアプリ版のグラフィックは新しくなくてもよかった。SFC最高峰といわれるドット絵でプレイしたかったなあ。

 

FF6の音楽

前作から一転してシリアスな世界観を反映する曲が多いですね。オープニングからそれはもうあからさまに。抑圧された雰囲気を表現するような『炭鉱都市ナルシェ』、『戒厳令』、『あの日から…』あたりがひじょうに鬱。そこで『運命のコイン』とか『リルムのテーマ』はほっとしますね。

かと思いきや『スラム・シャッフル』の自棄っぱちまでいかない絶妙なずるさというか適当さも案外好きです。あとはボス戦の『決闘』も迫力があってかっこいい。ラストバトルの曲も宗教がかってて絶妙にうさんくさくて良いですね。その神信じたらダメ絶対、みたいな。

しかしとにかくFF6で一番は『仲間を求めて』ですね。曲はプレイ前から知ってはいましたが、実際にプレイしてみると、はじめてかかるシーンが本当に良かった。それまでの『死界』がクロノ・トリガーの未来のフィールドぐらい鬱曲なので(風の効果音も同じっぽいですよね)、この曲の導入は心底素晴らしかった。再び旅に出る気力が湧いてくる文句なしの名曲。

 

Final Fantasy Ⅶ:PSで挫折

リアルタイムでプレイして挫折。なんか暗い話だなあと思っていまいち入り込めずにラストダンジョン直前で放り出してしまいました。

物語もかなり忘れていたので、外出制限中に刺し子ふきんを縫いながらストーリーまとめ動画を見たのですが、なんだ面白いじゃないですか。中学生の頃の私はまだ頭がアレだったもんだから全然わからなかったんですね。今見たら普通に面白いサイコホラーだった。(えっ)

「人って心の中になんてたくさんのものをしまってるんだろう」という感じのセリフがありましたが、これがとても印象的でした。ひとりの人間の中にはたくさんの経験がつまっていて、そこから育ってきたいろんな人格があって、意識的にしろ無意識的にしろ、人間には相手や状況が変わるたびにそれに合わせた自分をその都度演じているところがありますよね。

そうやって複数の「自分」を使い分けるのはみんな普通にやってることだけど、クラウドはのっぴきならない特殊な事情のために、それが自分でもわからないほど極端になって、混ざり合って、まったくわけがわからなくなってしまった、と。あれ、別にそんなに厨二病じゃないじゃん。

ケット・シーの中の人はまさにあっちとこっちで人格を意識的に演じ分けてる人ですが、大人になって見てみると彼が神羅とクラウド一行の間で葛藤するのもよくわかりますね。「神羅のやっていることには到底賛成できない、しかし神羅にまともな人が少なすぎて自分がやめるともっとひどいことになる」って、あるある。まともな希望を持ってはじめた仕事でも、自分ではどうにもできない外部の変化によってこういう状況に追い込まれることは普通にある。ケット・シー、いいキャラクターですね。かわいいし。とくに上に乗ってる猫が。

それから、ケット・シーの中の人(神羅から出向)とバレット(元テロリスト)の、バレットたちが主導した神羅施設爆破作戦による犠牲者についての会話というか対決も、どちらにも言い分があってなんともいえないものです。神羅も極悪だけど、それに抵抗するバレットの組織も無関係な人たちをかなり巻き込んだという。こういう答えの出ない話ができるって本当はすごく大切なことですよね。臭いものに蓋をしつづけても臭いの元凶が消えるわけではないからして。

それにしてもバレットの「アフリカ系・筋肉・複雑に思考するタイプではない」キャラクター造形は正直、日本人のもつアフリカ系の人々へのある種のステレオタイプをかなり反映しているようで若干ウッ(海外のお客様にはあまり堂々と見せられない)ってなったんですけど、劇中で成長してくれるのがまだ救い。バレットに限らず、シリーズ内で人種や男女がどう描かれているかというのも興味深いです。まあなんていうか正直、女子の露出度高くないですか?あれは水戸黄門の由美かおるみたいなもんですか?

もとい、PSになってキャラクターの見た目がぐっと人間ぽくなり、それにともなってFF7からはストーリーもリアルな要素を取り入れて作り込まれた感じになってきますね。国とか王様の概念が登場しなかったのもFF7が初だし、その代わりに巨大企業をもってきたというのは先見の明があった感じがします。実際にその後、インターネットの普及にともなってグローバルな大企業がものすごい勢いで台頭してきたわけですしおすし。1997年当時に神羅カンパニーという巨大企業を設定して、住民を騙して土地を奪って資源を消費しまくり情報を統制して世の中を牛耳るという、そのまま現代に通じる諸問題を大人気ゲームシリーズに盛り込んだシナリオの人に拍手をおくりたい。

ところで「今日は非番だから仕事しない」けどやるときはきっちりやるという、タークス式プロフェッショナル感覚が実際の世界にももっと導入されればいいのになと思いますね。プロとしてきっちり契約の範囲内で働き、かつ良い結果を出す、と。至極正しい考え方じゃないですか、と。

 

FF7の音楽

FF7は『花火に消された言葉』が好きです。これがかかるシーンはふたつとも素晴らしい。ケット・シーかわいい(大事なことなので二回目)。

FF8になるとオーケストラ寄りの音づくりに完全にシフトした感がありますけど、FF7の音楽はSFCからPSに切り替わったところで試行錯誤してるんでしょうか。独特の音ですね。ちょっとボフッボフッとしてる感じ。もしくはキラキラというかチラリラしてる感じ。うーむうまく説明できぬ。

印象的なシーンがたくさんあるので音楽を聴くとそれがよみがえってきますが、FF7は映像のインパクトが強かったのかなあ、音楽の存在感は他タイトルに比べて個人的には薄めです。日本語のタイトルがわからないんですけど、エアリスの故郷で流れる『Buried in Snow』、コルネオの『Don of the Slums』、文字どおりですがタークスのテーマ『Turk’s Theme』みたいな、脇で流れてる曲にときどきぐっとくるものがありますね。ちなみに戦闘曲はボス戦よりも通常バトルの方が好きです。

 

Final Fantasy Ⅷ:PSでクリア

FF8が大好きです。これもFF2と同じくキャラクター強化システムが独特で、わからないとひじょうに面倒くさいのですが、わかればさくさくパターンです。私は脳筋レベル上げは面倒くさくて好きじゃないので、こういうシステムのほうがありがたいです。

このゲームは独特のジャンクションシステムをいち早く理解し、序盤からカードゲームにうちこむなどしてアイテムを集めて魔法を精製し、キャラクターを強化して、ある程度強くなったあとは「エンカウントなし」アビリティを使いながら無駄な戦闘を避けつつ進む、というのがひとつの正しいプレイ姿勢であると思われます。FF8では自分のレベルが上がらなければ敵のレベルも上がらないですしね。雑魚敵との戦闘が避けられるって最高です。

キャラクターの強化システムと並んでFF8でわりと評判が悪いのがラブストーリーの部分、とくにスコールの恋愛スタンスの劇的な変化のようです。ストーリーを追っていけばスコールの心情の変化はそこまで不自然ではないと思うんですが(幼少時のトラウマから自分を守るために他人に頼り頼られる関係を頑なに拒絶していたことに気づき、その抑圧から一挙に自分自身を解放した)、もしかしたら心情の変化のプロセスがどうであれ、あの変化自体がある種受け入れにくいものなのではないかと。

だとすると、私はこれもFF4のところで書いた立役と二枚目の理論である程度説明がつくんじゃないかと踏んでいます。前半は立役タイプだったスコールのキャラ設定が後半で二枚目にかっ飛ぶことへの拒否反応というか。歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』でいうと大星由良助が恋する男になったらダメじゃん!みたいな。(喩えが微妙ですみません)

YouTubeでFF関連の動画を見ていると、海外のお客様の中にはわりとFF8に好意的な方が多くいらっしゃる印象を受けたのですが(古いナンバリングタイトルがあまりプレイされていなくて相対的に後発作品の人気が高いだけかもしれないけど)、FF4の項で前述したように「高貴な女性に思いを寄せる騎士」の物語に慣れ親しんでいる文化の人たちは、魔女の騎士たるスコールがリノアをストレートに特別扱いして守るのもむしろ当然のこととして見てくれるのではないかと。

スコールが二枚目担当だとすると、この物語での立役はラグナでしょう。配偶者が亡くなって職務に邁進するしかなくなったラグナが、恋愛要素を現役では担当しない立役。回想でも恋愛描写は淡めだし、マイペースで天然な性格も、生々しい恋愛要素を彼のイメージから遠ざけるのに一役買っている。だからラグナには日本人に嫌われる要素があまりない、と。まあ全然違うかもしれませんが、でもセシルとカイン、スコールとラグナは、日本と欧米で人気のバランスが違うのではないかと勝手に思ったりしてます。

というわけでFF8の欠点ととられがちなところを勝手に弁護しつつ、ここからは単純に好きな部分の話です。つまり今までのは前置きです。(長い)

 

私、FF8はとにかく街が好きなんですよね。街ごとの個性がバリバリ出てて最高です。

海沿いの街の爽やかさと穏やかさに潮風の感じまで伝わってくるバラム、ヨーロッパの古都のような歴史と華やかさのあるドール、ゆったりした田園風景の美しいウインヒル、手づくりのあたたかさとクリエイティブさで技術の発展だけが幸せじゃないことを全力でアピールしてくるF.H.、それとは対照的に近未来方向に振り切ったこれはこれで別の夢みたいなエスタ。

_人人人人人人_
> 住みたい <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄

と思ってたら本当にドール風味の国に引っ越してしまったわけですが。人生は謎。

閑話休題、それからガルバディアと、ガルバディアに占領されたティンバーの対比もいいですよね。ガルバディアは常に夜で、街並みは立派で整然としていて、大統領官邸前の広場と凱旋門が威容を誇りつつも人気がなくひっそりとしていて、権力者の力ときつく管理された社会の寒々しい雰囲気が伝わってくる感じ。

ティンバーはその逆で、近代的ではあるけど小さな路地があってごちゃごちゃしていて、人が気さくで野良猫がたくさんいて、テレビ局と出版社という言論にかかわる組織もあって、ガルバディアのような管理社会ではなく、住民の政治参加意識レベルの高さに裏打ちされた自由な空気の残り香が漂っている感じ。さすがにほとんどの住民がレジスタンス組織に所属してるだけあります。

それから街じゃないけどバラムガーデンもいいですよね。傭兵養成学校だからまあ軍隊なわけだけど、それにしてはやたらと自由な校風で生徒も明るくて助け合ってて、それでいて実力主義。ゴリゴリの軍隊感のあるガルバディアガーデンとものすごい差。校内設備も充実していて、教室の机に備えつけの学習パネルなんかも未来的でクール。初見は「これFFですか?」状態でしたよね。

イデアの家の荒廃する前もなかなか趣があります。住んだら寒そうだけど。石づくりの古い建物と緑の組み合わせがどうも好きです。石の壁をつたう蔦ってもういろんなコントラストが最高じゃないですか。外観がギリシャ神殿みたいだけど、そこはもうちょっと後の時代、そうだなあ、ルネサンス寄りの外観でも良かった。内観とのバランスを考えると。(どうでもいい感想)

ダンジョンだと名もなき王の墓の、遺跡を覆う緑とそこに流れる透明感ある青い水のせせらぎ、それらを鮮やかに照らしだす日の光もたまらなく良いですね。太陽が当たらない部分には苔がもっふもっふ生えてそうでこれもまた最高。ひんやりして絶対いい匂いする。遺跡には深入りしないで周辺を散歩したい。

すっかり観光ガイドになりました。もうこれでほぼ気は済んだのですが、次。FF8はちょっとした台詞回しなんかのユーモアも良いですよね。FFはシリーズをとおして些細な会話のユーモアがなかなか素敵だと思うんですけど、FF8はそのあたりがとくに好きです。

たとえば、スコールと同じタイミングでSeeDになるニーダは地味な学生ですが、「いつかガーデンを動かすほどの人物になる」という夢を持っているんですね。もちろん「動かす」というのは影響力的な意味でなんですけど、どういうわけかニーダは劇中で物理的に「ガーデンを動かす」男になるのであった。というような、なにか地味にニヤッとすることが多い。

ほかにも買い出しの相談をする庶民、延々とだべる学生、出会うたびに階級が下がっていく敵兵士のぼやき、いざとなれば軽い軽いの作業場のおっさん、もはや表示名自体が「いやな感じのヤツ」、釣りじいさんと弟子など、それぞれ人間くさい個性があってちょいちょい笑える。

そんな人々と会話を繰り広げるスコールは、彼自身がつっこみ要員として高い素質の持ち主です。外面はクールなのに、心の声で身も蓋もないことを言うギャップがおかしい。しかもそれをときどき口に出してしまう。かの有名な「壁にでも話してろよ」とか、本当に身も蓋もない。でも「夜中に呼び出されて仕事かと思って行ったら延々と一人語りを聞かされる」というのは、まあ正直めんどうくさい状況ではありますよね。しかしやがて、自分もまたそのめんどうくささを持っていることにはたと気づくスコールであった。

というようなキャラクターの成長が随所に散りばめられているのもFF8のいいところ。スコールとラグナは主人公だけあり、変化がはっきりわかって面白いですね。ラグナは適当なみりきをうまいこと残しつつ、責任感も育ってりっぱな大人になりました。めでたし。

攻略本に書いてありましたが、スコールとラグナはパーティ内の関係も対比的で、言葉にしないとわからないスコールチームと、言葉にしなくてもわかり合えるラグナチーム、というふうになっています。映画でラグナ演じる魔女の騎士に憧れるサイファー陣営も、ラグナのところのように3人チームですが、こちらはサイファーの暴走により後半で崩壊してしまう。

彼は結局、本当の魔女の騎士ではなかったっぽいし、本物の魔女の騎士になったのはライバル視しているスコール(しかもラグナの息子)だし、サイファーはなんだか本当に「可哀想な少年」ですね。変な断末魔の叫びの伝統まで踏襲させられる始末だし。エンディング後の彼の幸せをお祈り申し上げます。

という感じで、FF8は細かい設定とか小ネタとかサブイベントのたぐいがたくさんあるので、再プレイやまとめ動画で復習するのも面白いものです。

大人になってからストーリーを見返したらリアルに政治的な部分もあり、ガルバディアまわりはとくに身につまされます。デリング大統領の独裁ぶりとか魔女イデアに操られる群衆とか。後者はゲームの画面で見るとあからさまに洗脳なんだけど、でも、現実の世界でもうっかりすると為政者って同じようなことしてきますね。魔法でなくて教育や報道、からの世論の形成なんかで外堀を埋めようとしてくる。イデアの洗脳の前後での市井の人のコメントの変わりよう(「イデア最高」→「ハッ私は一体今まで何を」的な状態)も、現実世界であんがいよく見られる現象だと思えます。

そこへきてティンバーは、政治参加意識が高くてほとんどの住民が不当な占領に抵抗するレジスタンスだったりするし、占領下の街で出版社も大変な状況でありながらジャーナリスト志望の男性がいるあたりも尊い。がんばれティンバー。がんばれ香港。

ティンバーともまた違う考えで運営されている街・F.H.では、とにかく武力衝突を避けることをもって第一義としています。町のリーダーの肩書きは「駅長」で、それをリーダーのカップルである男女の二人が等しく名乗ってるのも(どちらかが「副駅長」ではない)、F.H.の男女平等感を表しているようで興味深いですね。ところがそこにガーデンがぶつかってきて、彼らのやり方だけではどうにもならないあれこれの事態が起きてしまう。そこでメンタル面が徐々に成長しつつある「バトル野郎」スコールが、駅長たちにバトルでなく言葉という手段で歩み寄りをこころみるのも見どころ。

このゲームではいろいろなことが対比関係になっていますね。スコールとラグナの成長とそれぞれのパーティ内の関係。スコールと、出発点はほぼ同じなのにいちいち反対方向に暴走して物語を駆動するサイファー。歴代の魔女たちと、その騎士たち。ガルバディアとティンバー、エスタとF.H.、エスタとガルバディアの政治etc。

FF8はどれが正しいとか正しくないとか単純に割りきれない対比だらけの世界に、ガーデンという狭い庭で育ってきた若者たちがいざ直面して、混乱しながらもとりあえずその時その時の最善を考えて行動しながら成長していく物語ですね。たぶん。リノアはおハローだけど、ガーデン外部から異質なアイデアと行動様式を持ち込んで、それがスコールと他のメンバーの成長の原動力になった面もありますし、彼女はあれでいいんですよね。

 

FF8の音楽

音楽も大好きなんですよね。CDの時代にサウンドトラックを聴き込みました。

前作から進化して、FF8の音楽は断然洗練されましたね。SeeDの任務関連の曲はどれも(『The Landing』『Never look back』『The mission』『The stage is set』など)疾走感と緊張感があってかっこいい。

ダンジョンの音楽もどれも似ていなくて、それでいてそれぞれの場面の雰囲気に合っていてどれも好きです。名もなき王の墓で聴く『Find your way』は石と水のひんやりした感じが伝わってきて最高。ミサイル基地でかかる『The Spy』は軍隊らしく無機質で、しかし適度にあやしくスリルもあって、状況にぴったり。ラストダンジョンのはじまりの『Compression of Time』もいいですね。不穏だけどそれが美しい。そこからのアルティミシア城『The Castle』は悪の城感が的確で、あからさまに荘厳ではあるんですけど、やっぱり好きです。

街の音楽は全部いいですね。エスタの未来っぽさなんか秀逸だと思う。飛空挺の『Ride on』も颯爽としていて青空の中を飛んでる感あります。ラグナロクかっこいいですよね。ちょっとリアル系ロボット寄りのデザインでいいですよね。装甲はまあまあだけど回避率が高そうな、あっこれ違うゲームの話だ。

閑話休題。FF8から本格導入されたピアノ曲(いづれの御時にかバッツ先生のオルガンのような音のピアノもありましたが)、みんなも大好きですよね?『Ami』と『The successor』をピアノで練習したのは私だけではないはず。ピアノ弾きのジュリアが演奏する『Julia』も、ゲームなのに本当にピアノの音で聴けるようになってうれしかったよう。

全体的に音質が向上したおかげで、超見せ場の『Eyes on me』の歌も浮いておらず感動的な仕上がり。しかしここのシーンだけはPS版の顔グラフィックの粗さが悔やまれる。あれはあれで普段は案外嫌いではないんですが、音楽が良すぎて、映像とのギャップが劇中一番じゃないかレベルで目立つシーンでもありました。

ちなみに『Eyes on me』はエンディングのアレンジの方が断然好みです。エンディングは音も映像も素晴らしいですよね。FF8は(FF3はまだエンディングを見ていませんが)ほとんどFF1以来のストレートなハッピーエンドじゃないですか。死んだパーティメンバーを思い出してせつなくなったりしないし、ラストバトル後の仲間との別れもないし。最後の音楽もそんなめでたい大団円感があります。

 

Final Fantasy Ⅸ:PSで挫折

わりとラストダンジョン近くまでやったはずなのに、全然覚えてないんですよね。FF9推しコメントから推測するときっとストーリーも面白いんだろうと思うんですけど、当時どうもキャラクターの名前が好きになれなくて。(えっ)

だってあんなかわいい女の子に「ダガー」ってさあ。まるっきり凶器じゃん。「ジタン」も響きがそんなに好きじゃないのよね。でも「ベアトリクス」って名前は大好きです。フランスに来たら「ベアトリス」っていう名前の人が普通にいた。素敵。

当時ストーリーの意味がわかっていなかった可能性も大なので、そのうち動画を見てみようと思ってます。そのうちビビ大好きとか言い出しそう。私。

 

あとがき

子どもの頃にプレイして以来遠ざかっていた時期もありましたが、Final Fantasyは大人になってもまた別の楽しみ方ができますね。昔はわからなかったストーリーの伏線やキャラクターの心の機微もより理解できるようになったし、ゲームに影響を与えているけどゲーム内で語られていないこと(世界観やキャラクターを設定した人たちに影響を与えた、当時の日本社会のいろいろなこと)なんかを考えるのも楽しいものです。

つまり、今はどちらかというと小説を読んだり映画を見たりするときのような感覚でストーリーを追ってゲームをしています。読解力は大事ですね。たくさんの人の真剣な仕事で作られたゲームのストーリーや設定は、製作者が意図していないところでも、そのゲームを送り出した社会の考え方の傾向なんかを色濃く反映していたりするし、子ども向けのおもちゃで終わらせるには惜しいほど、掘り下げるのに面白いテーマが詰まっていると思うのです。たかがゲーム、されどゲーム。

とかなんとか言いつつ、まあ、そもそもゲーム自体が楽しいからやってるんですけどね。

 

資料:佐藤忠男,  “映画のなかの日本とアジア”,『岩波講座 現代社会学 第23巻 日本文化の社会学』, p153-155

 

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