PhiloFrance フィロフランス

語学力ゼロでフランスに渡ったどさんこが、いかにしてフランス語を学習し、フランス社会を観察し、フランス生活に適応していくかの記録。

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日本とフランスで違う「アーティスト」の定義

   



ジャン・コクトーの小説「恐るべき子どもたち」を持ってメトロに乗ったのですが、どうも文章が読みづらい。

訳者はなんという人だろう、と思ったら東郷青児でした。翻訳もするのかと感心したけど、やっぱり読みづらいので、いっそフランス語版で読んでみようかしらと思うこの頃。

ジャン・コクトーはwikipediaで「フランスの芸術家。詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であるだけでなく、画家、映画監督、脚本家としての活動も行った」と紹介されているとおり、すごくマルチな人です。

というわけで多才についてぼんやり考えていたら、フランスと日本の「アーティスト」の定義について思い至りました。フランスって「アーティスト」が多い気がするんですよね。

  • 「この人は絵描きです」
  • 「この人はミュージシャンです」
  • 「この人は彫刻家で絵描きです」

などなど、けっこうな確率で出会います。私まわりは平均よりもアーティストが多めだとは思うんですが、それを抜きにしてもフランスにはアーティストが多い気がする。

そこでふと、その「アーティスト」たちは必ずしも、彼らのアートで生計を立てていないことに気がつきました。主たる収入源が他にあったり、アーティスト用の物件で暮らしていたり、何らかの手当をもらったり、芸術でじゅうぶんに自活しているとは言えない人がけっこういる。

仮に、日本でその状態を堂々と「アーティスト」と言えるだろうかと考えると、少し疑問です。

そしてたぶん、それはお金の問題です。

日本だと一般的に、お金にならない活動で自分を「アーティスト」と呼ぶのはちょっと気がひける気がします。

一方で、フランス人はお金になってようがなってなかろうが「アーティスト」と呼びます。思えば私のへっぽこ端唄をして同居人が「彼女はミュージシャンです」と言うのを何度「趣味ですから」と否定したことか。

いやしかし、今にして思えば、フランス人にとって「アーティスト」というのはもっと幅の広いものなのかもしれません。アーティストであるという本人の意識さえあれば、そう名乗ってもいいのかもしれない。

日本ではアーティストが職業の一形態に近いのにたいして、フランスでは自分が情熱が注げていればじゅうぶんに「アーティスト」なのかもしれません。

もしかしたらそういう心の持ちかたの違いが、フランスがマルチな才能を発揮する芸術家を多く輩出している理由でもあるのかも、と思ったりして。

ところで私は心の中で、伊丹十三を「日本のジャン・コクトー」と呼んでいます。

 

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 - フランス観察