女子が大人になっても男言葉を使い続けていいのかわかりません、くそっ
- 2025.12.07
- 雑記
日本語話者の諸姉は、「男言葉」とどのように付き合っていらっしゃるのでしょうか。
もしくはそもそも付き合ってないのであろうか。
私はといえば、「女言葉」と「男言葉」のあいだにはさまって、にっちもさっちもどうにもブルドッグのデッドロック状態です。
しかも、「男言葉」の使用を明日にでもやめて、朝から晩まで奥ゆかしい女性()のように話したいという単純な問題ではないのです。事は。
というか、「女言葉」と「男言葉」という分けかたをやめて、「使用域」の話にならないものか。
つまり、場面にあった言葉の使い分けができれば、女も男もなくてよいのではないか。
…というようなことを、自分の頭の中を整理するために書くものです。
誰も読まなさそうだけど同志求む!
「女性語」と「男性語」
まずはなにについて話しているのかをはっきりさせよう。
というわけで、「女言葉」とだいたい意味が近いと思われる、「女性語」を辞書で引いてみる。
日本語に多くみられる、女性特有の言い回しや言葉。現代語では感動詞の「あら」「まあ」、終助詞の「わ」や、「だわ」「のよ」など。
(中略)
現代、本邦にて一般的に女性語として認識されている言葉の起源は、「てよだわ言葉(女学生ことば)」である。「女学生」とは、明治から昭和期の旧制高等女学校等生徒のことであり、女性語の主要な担い手であった。
(中略)
「てよだわ」の他にも、女学生の間で流行する「公園に散歩に行く?」のように「行く」で切って西洋風に語尾を上げる言葉づかいも、「荒々しい嫌なもの」として退けている。しかし、結果的には中流以上の女性層で定着し、規範的な女性語として扱われるようになった。
(出典:https://www.weblio.jp/content/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E8%AA%9E)
次に、「男言葉」とだいたい意味が近いと思われる、「男性語」。
男性特有の言い回しや言葉。男性の友人同士や、学校の同級生など、男性の仲間内では率直でくだけた(あるいは威圧的な、ぶっきらぼうな)印象の強い言葉が好まれる風潮がある。
(中略)
男性特有の語尾表現には「ぜ」「だぜ」「だろ」といったものがある。いずれもやや乱暴な表現であり、
(中略)
強調の接頭語として、「ぶん」や「ぶっ」(「ぶん投げる」「ぶっ叩く」など)、「ど」(「ど根性」「どでかい」など)、「糞(くそ)」や「馬鹿(ばか)」(「くそ暑い」、「ばかでかい」など)を好んで使う者もいる。
(出典:https://www.weblio.jp/content/%E7%94%B7%E8%A8%80%E8%91%89)
だそうです。うん、やっぱりそうですね。
というわけで、以下、「女言葉」は上記の「女性語」、「男言葉」は上記の「男性語」のようなことをいっているのだと理解していただければ幸いです。
(ちなみに平野卿子著『女ことばってなんなのかしら? 「性別の美学」の日本語』 を読むともっといろいろわかります。同志求む!)
「女言葉」での表現の限界
「女言葉」「男言葉」という呼称のとおり、女性に生まれると幼少のみぎりから、親や社会やそこらじゅうのコンテンツが
「女子は女言葉で話そうな、男言葉みたいな乱暴な物言いは女子にふさわしくなくて下品だからやめような」
と圧力をかけてきます。
もちろん反対側でも反対のことが起こっている。
それで、子どもは頭がアレだから「そうなんだ!」と思って、それが正解だと思い込んで、そのまま大きくなります。
しかしあるとき、「女言葉」を話して育ってきた女子が、クソみたいな目に遭遇して、
🔥🔥🔥なんとしても対象を痛罵しないことには気持ちが収まらん🔥🔥🔥
となるわけです。しかし
「あの人本当に困るわ」
ぐらいじゃ足りない。全然足りない。この後頭部からぐつぐつと沸き上がってくるパワーを言葉に乗せきれないッ!
一体どうしたら…!
…そうだ、男言葉があるじゃない!
マダムの男言葉はありなのか!どうなのか!!
「男言葉」によって怒りを表現することを学んで以来、快適に暮らしてきたわけですが、そろそろ自分もマドモワゼルというよりはどこをどう考えてもマダムの年齢になりました。
そこで、ふと、「男言葉」を自然に使いこなして話すマダム(=それなりの年齢の日本語話者女性)が、あまりいないということに気づいた。
…このままやんちゃな話しかたをしていて本当にいいのだろうか。
(あと、「女言葉」よりも「男言葉」のほうが、まことに不本意ながら笑いをとるのに向いてますよね?ツッコミのキレとか…)
と考え出してから、よっぽど付き合いの長い何人かをのぞいて、「男言葉」を使うと、
「やりすぎたかなあ…」
というちょっとした罪悪感を感じるようになってしまったのです。クソが
で、「女言葉」と「男言葉」のあいだで懊悩する人間が出来上がりましたよ、と。
今後の方針について
さて、どうしたものか。
今後の方針は一応ふたつ考えています。
当然ですが、罵ること自体をやめましょう、みたいな従順な家畜のような選択肢はありません。
①このままの感じでいってみる
読んで字のごとく。
今はきっと過渡期であり、自分より下の世代になったら、言葉づかいももっとフラットでジェンダーレスになっていくであろうから、このままでもいずれ大丈夫になるでしょう、という期待。
②男言葉を控えめにする代わりに意地悪を磨く
「あいつ死ねよ〜」という代わりに「早くお亡くなりになればいいのに」というアレですね。
現状においてもたしかに、
「あいつの振る舞い異常すぎるだろ」
という代わりに
「あの人が来世は人間に生まれ変われるのか心配だわ〜」
とか、言い換えられる案件はありますね。
これは絶対に研究の余地ある。
橋本治著『いとも優雅な意地悪の教本』を再読しようかな。
うーんこの方向はなかなかいいぞ、エレガントに毒をぶちこみたい。
それかアレですね、語尾は男言葉じゃないけど語彙が男言葉よりという感じで、配合を考え直すのもいいかもしれない。
フランス語の罵り言葉と「使用域」
そこでちょっとフランス語の話なんですけど、フランス語だと「使用域(registre de langue)」というのがあります。
「使用域」とは、状況に応じて、最も適切な単語・表現・構文、さらには発音を選択することです。
主に、「日常語」「丁寧語」「口語」の3つの使用域があります。辞書には通常、より正確な分類が記載されています。例えば、「詩的」「文学的」「非常に口語的」「俗語的」「俗語」「大衆的」「専門用語」「教育的」「珍しい」などです。
(出典:https://dictionnaire.lerobert.com/guide/registres-de-langue)
「使用域」は、性差ではなくて、言葉が使われる状況(場面のほかに、年齢・教育レベル・職業・関係性も込み)で分かれています。
つまり、フランス語では、頭にきたときや、やらかしたときや、突然の車線変更や割り込みなどに際して「くそっ」とか「こんちくしょう」的な表現を用いるとき、女も男もない(少なくとも日本ほどはない)、ということです。
ところで、実際やってみるとわかるのですが、フランス語で罵り言葉(使用域的には「口語」「俗語的」あたり)を発すると、すっきりして軽快な気持ちになったりします。
フランス語の、日本語よりはずっと豊富な罵詈雑言を一生懸命引っ張り出しているうちに、むしろそっちがメインになって楽しくなってきたりしちゃう。
きっとフランス語には、感情を言葉に乗せて外に出すことで、ネガティブな感情をみだりに溜め込まないという知恵があるのでしょう。
それと、あえて壮大な罵り言葉を繰り出していると、言っていることと現実の乖離が可笑しくなってきて、ついつい自分ごと状況を客観視してしまい、落ち着いてしまうというのもある気がします。
閑話休題、若いフランス人は、男女の別なくかなりカジュアルに「くっそー」「ちくしょー」って言ってます。
つまり、フランス語で話しているときは「男言葉使ってもいいかなぁ」という悩み自体がない!
結論のようなもの
なんというか、フランス語を学んだことによって、思考や表現における罵り言葉の重要度がさらに上がったことも問題の一端であるような気がしてきた。
どちらにしろ、フランス語では引き続き罵倒しつつ、日本語では罵り言葉を一生使わない淑女()になる、というのは非現実的。
しかし言葉遣いがやんちゃすぎる大人の女性というのは日本語社会ではまだちょっとアレかもしれない。
それをねじ伏せる圧倒的な個性とか名声も持ち合わせてないし。くそっ
ということは意地悪方面を模索するのがベストでしょうか。現状。うーむ。
日本語も今後、「女言葉」「男言葉」じゃなくて、「使用域」重視になっていけばいいんですけどね。
老若男女が状況に応じて適切かつ効果的に日本語を使用できれば、女とか男とか、別にいいじゃないですか。
出るとこ出たときは相手に敬意をもって丁寧に話す。
気心知れた間柄であれば、いろんな表現を使いこなして会話をどんどん盛り上げる。
あんまり酷い目に遭わされたら適切な言葉を使ってカウンターを喰らわせる。
以上!
ところで、もともと方言が強くて、「女言葉」のもとになった「女学生ことば」が浸透しなかった地域は、もしかして今も昔も性差より「使用域」重視なのではないかと思っているのですが。
関西弁で育ってたらどうなってたんだろう!
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