プラハへ行ったときは「ここが米原万里さんがソビエト学校に通った街か」と思って感慨深かったものです。
米原万里は通訳者としても知られていますが、本がすごく面白いんですよね。エッセイも小説もはずれなし。
通訳者って、ふたつの言語と文化をとりもつ仕事じゃないですか。
だからなのかなんなのか、米原万里のバランス感覚って素晴らしいと思うんですよね。
私も今フランスに住んでいて、時と場合によってフランス贔屓になったり日本贔屓になったりで、こういうバランス感覚ってなかなか難しいなあと思っています。
でも米原万里の著作に触れていると、変に偏るのをいくらか防げそうな感じがしてくるんです。
米原万里さんのこと
米原万里は、通訳者・作家として知られています。
彼女は小学校3年から中学校2年までお父さんの共産党関係の仕事のためにプラハに滞在して、その間ソビエト学校で勉強し、いろいろな国籍の子供たちと過ごしながらロシア語を習得しました。
それからロシア語会議通訳になり、ソ連崩壊のころは名だたる要人の通訳として活躍していたそうです。
通訳者としての経験を豊富に盛り込んだエッセイや、自身の体験をもとにした小説も人気があります。
外国文化への二通りの反応
米原万里は知識が幅広く視野も広く、そのうえユーモアのセンスが抜群。
彼女の本は外国語を勉強する人にとって興味深いエピソードの宝庫です。
手元にあるエッセイ集の『ガセネッタ&シモネッタ』から、ぐっときた箇所を抜き書きすると、
外国語や外国文化に接したときの病的反応には、それに夢中になって絶対化するか、逆に自国語と自国文化を絶対化するかの二通りある。
(中略)
そして不思議なことに絶対化の危険にさらされる度合いは、母国語より外国語の方が強い。
/189ページ
ありますね!
外国に住んだりしてすっかり外国かぶれになってる人を見ると、「こうはなりたくないなー」と思う。
逆に、外国をけなしてなんでもかんでも日本のほうが優れていると言い続ける人を見ると、「こうもなりたくはないなー」と思う。
偏りを取り込んで偏らない「中庸」
こちらは「中庸」についての考察。
「中庸」とか「中道」と言うと、まず何はさておき、「極端を排し」と思われがちだが、本来は、むしろ極限の偏りをことごとく取り込んだ過酷にして懐の深いスケールの大きいものではないだろうか。
それが、「中途半端」との本質な違いだと思う……。
/80-81ページ
米原万里自身が、日本語とロシア語、日本とロシアの偏りを取り込んだ「中庸」ですね。
このバランスの良さは、外国や外国語にゆかりのある人生を送る人にとって、というか私にとって、理想的です。
世の中英語に偏りすぎ問題
ロシア語の使い手だった米原万里はまた、「外国語といえば英語」に偏りがちな日本の傾向にも言及していて、英語(とアメリカ)偏重とは別の視点に気づかせてくれます。
その時々、世界最強の(と勝手に思い込んだ)国イコール世界、そこの文化を世界一として一心不乱にそれを摂取するという性癖のことだ。
/196ページ
言語は意思疎通のみならず思考の具でもあるから外国語習得は、常日頃空気のような存在だった母語による常識や思考形式を客観視する契機になるはずで、だからこそ本来外国語習得者の属性というべき批判精神や複眼思考といった特徴は、他の言語の通訳にはふんだんに見られる。
なぜそれが英語通訳には感じられないのであろうか。
/191ページ
むかし中国、いまアメリカ。日本は一心不乱にアメリカの文化と言葉を摂取してきました。
そこへきて米原万里のエッセイには、ソ連とその衛星国のエピソードがしばしば登場します。
私、ソ連のことって物心ついてなかったのもあるかもしれませんけど、全然知らないんですよね。
ソ連といえば、とにかく列に並んでそれからまた列に並んであげくにシベリアに送られる、という暗黒なイメージを持っておりました(極端)。
でも、お金儲けを度外視して優秀な人間に学問をさせたり、芸術家を育てたりと、資本主義にはなかなか難しいことができたんだな、ということがおかげでわかりました。
日本では英語とアメリカが重要視されがちだけど、世の中には他にもいろいろな言葉と国がありますしおすし、そこも気にしないと、諸地域が集まった世界の全体像はつかめないようです。
読むとかしこさが上がります
そんなためになるエピソードが満載の米原万里のエッセイ。
- 極端をとりこんで偏らず、
- 日本と日本語だけに偏らず、
- 外国をアメリカと英語だけに偏らず、
もっと広い視野や多くの視点を持つことの大切さに気づかせてくれます。
こういう本を読んでいれば、批判精神や複眼思考が育って、極端な偏りをいくらか防げるんじゃないでしょうか。
エッセイもいいし小説もいいです。これなんかもう。
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