今現在、フランスにおいて自分が外国人で移民なわけですが、移民って難しいです。
日本で介護などの労働力が足りないから移民を入れようという議論があるらしいですが、移民受け入れは見切り発車でやったら絶対に失敗すると思います。
人が移動してくるのをうまく受け入れるためには、
- 言語の習得
- 習慣の違い
- 宗教の違い
- 家族を含めたサポート
こういったことをフォローする制度と社会がないと難しいと思うんです。
移民の難しさ①言語の習得
自分も苦労していますが、言語はものすごく大事です。
言葉のレベルが上がれば上がるほど、
- 仕事の選択肢が増える
- 友だちなど頼り頼られる関係を作れる
- コミュニケーション上のすれ違いが減る
- 手続きや日常の用事もスムーズにできる
- 社会で自立している感覚を味わえる
というメリットがあります。
しかし言葉ができないと、これが全部逆になります。それってすごいストレスだと思いませんか。
「自分の国では当たり前にできていたことが、誰かに助けてもらわないとできない」となると、大人の保護が必要な子どものような気持ちになります。
そういうわけで、言語の習得は移民にとって、経済的にも精神的にも死活問題です。
そこへきて、日本語って似ている言語が少ないらしいです。
その日本語の文法をイチから勉強して、さらに満足に暮らせるために覚えないといけない漢字の数とか考えてみてください。大変なことだと思う。
ここでくじけると、社会の中で疎外感を持ちかねません。
移民の難しさ②習慣、宗教の違い
個人差はありますが、人によってはけっっっこう苦労になると思います。
習慣は、目に見えることは案外たいしたことないと思うんですよ。
家で靴を脱ぐとか、洗濯の頻度とか、お金を触った後に手を洗うかとか。
こういうことは、目に見えるぶんまだわかりやすいです。
ほんとうに難しいのは、目に見えないほうの習慣、考え方の癖だと思います。
たとえば日本人どうしだと「空気を読む」「以心伝心」「遠回しに伝える」など無意識にできていることが、外国人相手だとうまくいかなかったりする。
相手からしても「日本人は何を考えているのかわからない」ってなってる。
これを改善するには、違いを認識することから始まって、お互いの継続的な努力が必要です。
宗教も、人にとっては大変でしょう。
祈りの場やコミュニティをあらたに見つけるとか、違う環境の中で戒律を守りつづける苦労とか、生活の中で祈りに割く時間をとれるかとか、いろいろあると思います。
もしうまくいかなかったら、社会に溶け込むことが困難になって疎外感を持ちかねません。
移民の難しさ③家族を含めたサポート
移民を受け入れるということは、その配偶者や子どもなどの家族も受け入れるということですよね。
だって「あなたひとりで来てこの国の労働力を補って、家族とか作らないで、いらなくなったらひとりで帰ってね」なんて言えないじゃないですか。
ということは、移民を受け入れる=移民の家族のサポートも必要になります。
親の移民先で生まれた子どもにとっては、そこが自分のふるさとだし、そこで国籍なり滞在許可を持ち、良い教育を受け、望む仕事につき、社会保障を受けることが認められるべきでしょう。
親が外国人だからって違う扱いをしたら差別だし、言語の習得や学力で困難があれば、支援も必要です。
それがうまくいかなかったら、社会で自立することが難しくなって疎外感を持ちかねません。
移民は経済の道具ではない
移民受け入れ自体に反対とは言いませんが、ノープランな移民受け入れには反対です。
賛成している人は、移民の言語、習慣、宗教とか家族のサポートとか、どう考えてるのだろうか。
受け入れる国のサポート体制が整っていなくて、移民が社会の中で疎外感を持つようになったとき、その疎外感を利用して何かをさせようとたくらむ人はいつの世にもいます。
移民は人間です。数字じゃありません。経済のことだけ考えているときっと失敗すると思います。
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