フランスで修士課程終わりました。勉強で人間変わりました。

2021年12月、無事に修士課程が終わりました。

勉強になりましたね。いやあ勉強になりました。それはもう勉強になりました。

年間たったの300ユーロぐらいの登録料だけで学ばせてくれたフランスと、日本の無名地方私大卒から修士課程に編入させてくれた学校と、指導してくださった先生方には大変感謝です。

私は学部時代にあまり勉強していなかったので、ちゃんとした高等教育は人間の中身をかなり変える力があるんだなあということが(いまさら)わかりました。

 

修士課程の授業でたくさんの知識を学んだことはもちろんですが、それに加えて、レポートや論文の執筆を通して

  1. 信頼できる情報源から必要な情報を見つけ出し、
  2. その情報をもとに考えて、
  3. 考えた結果を整理して筋道を立て、
  4. 論理的な文章で表現する

ということを学びました。

これが正直、私の人生においてかなり重大な事件でしたので、ちょっとご報告しようと思います。

ちなみに背景としては、パリにある「日本学科/修士課程/M1・M2 Recherche(研究コース)」の話です。

 

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信頼できる情報源と情報

レポートや論文を書く際には、なにを参考にするかでもう勝負がはじまっています。

ということで、本腰を入れて読んだり書いたりする前に、まずは参考文献リストを作ることからはじめます。

私の場合は、フィールドワークや実験をしないタイプのレポートや論文だったので、基本的にはほとんど、研究者や専門家による著書、論文、記事をもとにしました。

 

で、まあそりゃそうなんですけど、根拠に乏しい本やサイトやブログのたぐいから情報収拾するのは論外です。

また、研究者や専門家の著作から情報を得るといっても、その分野を調べるにつれて、信頼できる内容の著作を書いている人とちょっと微妙な人がわかってきたりします。

つまり、「専門家」を名乗っているけどこの人の研究なんか微妙ぞ、ということもあるし、逆に、この人の研究は至る所で引用されていて、この分野においては第一人者であるといえそうだ、ということもわかってきたりします。

 

そういったプロセスを経るなどして適切な情報のありかを見つけることが、まずなにかを考える以前の段階で大切です。

腐った材料から料理を作っても腐ってるのと同じで、トンデモ情報をもとにして考えたり書いたりしてもトンデモ結論が出るだけですしね。

 

というわけで、参考文献リストができたら、それを読み込み、適宜メモなど取りつつ、必要な情報を収集します。

その過程で自分でもいろいろと考えたりするので、それもメモしておきます。

その際に、「自分で考えたこと」と「既に存在する著作からの引用」を区別しておくことが大切です。

後者は出どころを参考文献として明記しないと、剽窃、つまりパクリになっちゃいますからねえ。

 

読み手に誤解を与えない、明確で論理的な文章

情報を集めつつそれをもとに考えたら、その結果を整理して筋道を立て、それを論理的な文章で表現します。

つまり、書き手がなにを参考にして、どう考えて、どういう結論になったのを、読み手にきちっと伝わるように書くということです。

なんだそんなことかって感じかもしれませんけど、これが意外と難しいです。

 

日本の中等教育までで書くような作文や読書感想文のたぐいだと、相手の解釈や想像力に頼る文章でも通ると思うんですけど、大学のレポートや論文になると、相手の解釈や想像力が入り込む余地がないぐらい自分の思考を明確に表現する文章を、自分の責任において書かないといけません。

つまり、大学でまとまった文章を書く場合は、根拠が明確で、誰が読んでも同じ思考の道筋をたどることができて、結論が論理的に導き出されている文章を書くことが大事です。

高等教育を修了した人は本来、もれなくこの能力を持っていないといけないように思われます。

たぶん、トレーニングなしでこういうことができる人ってほぼいないんじゃないでしょうかねぇ。

インターネットのニュースサイトで「記事」など読んでいても、情報源が明記されていないとか、単なる個人の感想を、分析によって得られたデータとまるで同等に扱って「結論」の「根拠」にしているとか、途中で論理が飛躍してるとか、導入と結論に一貫性がないとか、全然あります。

 

たとえていえば、うーんなんだろう、「パリジェンヌは恋愛至上主義である」と書いただけではボツであり、それってあなたの感想ですよねと言われて終わりです。

そういうことを言いたいなら、「パリジェンヌ」とは具体的にどの人々のことを指すのか、「恋愛至上主義」とはどのような事象を指しているのかを定義した上で、両者の関連を信頼できるデータによって説明しないといけません。

また、「パリジェンヌ」と一口にいっても、パリに居住している人なのか、パリに勤務している人なのか、パリで生まれた人なのか、パリに移住してきた人も入れるのか、入れるなら移住歴は最低どれくらいか、トランスジェンダーはどう扱うのかとか、いろいろなことを考えて、なにについて話しているのか明確にします。

 

という感じで、普段なんとなく使っている語彙をそのままなんとなく使うことはできないし、なんとなく結びつけている事柄をなんとなく結びつけることもできません。

なので勉強するにつれて、普段の生活でも、「フランス人は〇〇である」とか「日本人は〇〇である」とか、「男性は〇〇である」とか「女性は〇〇である」とか、そういう雑なことがどんどん言えなくなってきます。

自分が日常で思ったり口にしていることの中に、「一概には言えないこと」や「論理的に繋がっていないこと」、はたまた「裏付けのないこと」がどんだけたくさんあったのか、勉強を通して意識できるようになってくるのです。恐ろしい。

 

専門知識は雑学の集合ではない

大学院で学ぶ専門知識は、授業に出席して得ることもありますが、上記のようなやりかたでレポートや論文を書いている間に蓄積される部分がかなり大きいと思います。

この過程で学ぶ専門知識には、いちいち出典や根拠が結びついており、趣味の雑学であちこちから拾い読みして集めたような知識と同じ質のものではありません。

 

また、なにかひとつのことを論じるだけでも、そのために知らなければいけないことは膨大です。

先行研究ではなにが既に論じられており、なにが論じられていないか、なにが明らかになっており、なにが明らかになっていないか、歴史的な経緯はどうか、用語の定義はどうか、etc。

厳密でないことはなにひとつ許されない以上、「古くからの日本の慣習である」とかポエティックなことも書いちゃいけないのです。

「『古くから』っていつだよ」とか、「『日本』って具体的にどこだよ、たとえば九州と東北じゃ時と場合によって慣習が全然違うし、身分制度のある時代の話をするなら同じ場所でも階級によって慣習が違うだろ」みたいな話になるわけで。

 

こういう感じのいろいろに注意しつつなにかを掘り下げるということは、ようするに、芋づる式にやたらたくさんのことを調べる羽目になるのでした。

 

成長した、けど過去の自分が情けないようで恥ずかしくもある

そういうわけで、大学院での自分の成長は大変嬉しいのですが、今読むと過去の自分の書いたブログがアレですね。

正直全面的に書き直したいレベルですし、あんまり恥ずかしいので全体的に軽くチェックはしましたが、まあレポートでも論文でもなくてブログだし、大学院も使用前だしということで。ああ。

まあ、これは右も左もわからず渡仏した一介の日本人の成長記録ですしおすし、初期はアレだったのに大学院行って少しはマシになったねえ、みたいな感じで、

いやあ

恥ずかしいですねえ。

まあそれがわかっただけでも進歩したということで、良しとしよう。

 

追伸

もともとフランスの高等教育機関では登録料だけで学費無料で勉強することができましたが、どの国籍の外国人にも平等に適用されていたこのシステムを変えたのがマクロン大統領です。

私はヨーロッパ出身の学生ではなかったので、あわや学費が有料になるかと思われましたが、マクロンのこの政策に反対している学校もあり、私の入った学校もそうであったため、以前のシステムのように登録料だけで勉強することができました。

当時(とかさっそく曖昧なこと言っちゃいけないですね、2017-18年ごろ)は語学学生で今よりもいろいろわかっていませんでしたが、大学生を中心とした人たちがこの政策に反対するデモをやっていたのを覚えてます。

 

それにしても、ちゃんとした教育期間で勉強することがひとりの人間の能力をどれだけ向上させるかということを実際に体験してみると、学費を無料にするなどして教育機会をより多くの人に提供することは、より高度な能力を持った人材の供給という形で結局は社会に還元される気もするんですが、どうでしょうねぇ。

(門戸を広げるからといって出口も広くて良いという話ではないです。念のため。)

 

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