フランスの大学院・後期:論文を書くことの効能

大学院一年目がたぶん終わりました。

「たぶん」というのは、自分のわかる範囲では落とした科目もないし必修セミナーも全部受けてるんだけど、万一初見殺しみたいな罠に引っかかっていたら、ということを一応心配しているからです。早く最終結果を学内システムにバシィ!って表示してほしい。それを確認してさっさと来年の登録料払っちまいたいんだけど…

閑話休題。前期で勉強したことは『はじめてのフランスの大学院・前期で勉強になったことまとめ』という投稿に書いたのですが、後期はミニ修士論文の提出が大イベントでした。

今回はそのことを中心に、後期で勉強になったことを書き留めておきたいと思います。

 

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後期は途中からオンラインに移行

大学院の後期は1月末に始まりましたが、3月の真ん中でコロナウィルス対策のために学校が閉鎖されたので、そこからは全部オンラインでの授業、もしくは課題に切り替わりました。

なので今年は、「交通機関の大規模かつ長期間のストライキで授業がなし崩し的に終了した前期」と「コロナウィルス対策にともなう大学の閉鎖で対面授業が学期半ばで中断した後期」という、かなり稀な一年だったと思います。

後期の社会学の授業、すごく面白かったのに途中でオンラインになってしまい残念。対面授業の方がやっぱり情報量が多いですよね、学生からのリアルタイムでの反応や質問があるぶん。

論文指導も通常はもっと先生と面談してアドバイスをもらうものだと思うのですが、先生とはほぼ会ってません。メールのやりとり何回か、ぐらいです。なのでわりと独力(+フランス語などなど添削してくれたパートナーのフランス人の力添え)でミニ論文を書きました。これが大変だったのなんのって。

 

フランス語で論文を書くことの難しさ

日本だと「修士は2年間」ということになっていて、たとえば1年目で単位をとってやめたら中退になると思うのですが、たぶんフランスでは修士1年と修士2年が一応独立していて、修士1年(Master 1=maitrise, bac+4)修士2年(Master 2=master, bac+5)でそれぞれ一旦修了するっぽいです。ということで、私の行っている学校では修士1年目を修了するためにミニ修士論文の提出が必須でした。

私も一応日本の大学で卒論を書いて卒業したわけですが、しかし、その時の経験はほぼ役に立ちませんでした(今考えたらあれでどうして卒業できたんだろう)。もちろん大学によるでしょうが、日本の学部の卒業論文はゆるい基準で見逃してくれるところも多いのではないかと思います。実際、私の卒業したところはゆるかったです。就職予備校だったのか。

そういうわけで、まともな論文の体をなしていない卒論で学部を卒業してしまったぶん、今回のミニ論文が余計に大変でした。あれも勉強、これも勉強、いろんなことが新鮮です。

 

「フランス語ぶっつけ」か「日本語で下書き」か

大まかな構成を考えて「いざ書こう」となったのですが、さっそく悩みました。フランス語で書きはじめるべきか、日本語で書いたものをフランス語に訳すべきか、それが問題だ。

思えば語学学校で250単語ぐらいの短いエッセイ等を書いていたときは、フランス語で発想して書いたもののほうが、日本語で発想したことをフランス語に訳したものよりも成績がよかった。たぶんそのほうが、日本語をフランス語に訳する過程で生まれる翻訳的な問題(ニュアンスのズレとか、フランス語にすると通じなくなる日本語に独特の発想の入り込み具合とか)が少なかったからだろうと思います。

こういうことを踏まえた結果、まずはフランス語で書きはじめることにしました。しかしこの方法は250単語(A4一枚ぐらいですね)程度の短い文章ではまあ通用したものの、40ページを超える(一応)論文ともなると、フランス語での思考力の限界にぶち当たるということがわかりました。つまり、

  • 大まかなところでは:全体の構成を頭に置きつつ
  • 細かなところでは:文章内に、もしくは文章と文章のあいだに論理的な破綻がないように気を配りつつ
  • 常に:フランス語のミスがなるっっっったけ少ない文章を書く

ということを同時にやらないといけないわけで、これがまあ非常に難しいのでした。というより無理でした。フランス語に集中すると内容がおろそかになり、内容に集中するとフランス語がお留守になる。「あちらを立てればこちらが立たず」とはまさにこのことであった。

そこで、日本語で書いたものをフランス語に訳するという方針に変えました。ここで15ページぐらいやり直したので、たいへん時間を取られましたよ、と。

 

フランス語が厳密すぎる問題

日本語で下書きすることにしてからは、語学に割いていたリソースも内容に注ぎこめるようになったぶん、いくらかは論理的にまともな文章を書けるようになった(気がする)のですが、しかしそれにしても、フランス語が厳密です。

これってフランス語自体の性格なんでしょうか。たぶんそうですね。フランス語は日本語よりも、冠詞や指示語を駆使して、いちいち話題にしているものを明確にしなければならないようです。たとえば「日本人」と書くときも、「全ての日本人」なのか、「一部の日本人」なのか、「具体的な日本人」なのか「いわゆる日本人」なのか、というようなことを頭の中で明確にしておかないとだめみたいです。

それから、「この」「その」「こういった」という表現を使うときも、その言葉が何を指すのか、「読めばあたりはつく」レベルではなく、きっちりと明文化されている必要があります。

フランス語では「読み手が意図を正確に汲み取れるように、きっちりと隙間なく文章を構築する」という責任が書き手にかかっている感じです。日本語はその点、もっと読み手依存度が高いというか、読み手が文脈でいろいろと補って理解してくれる度合いが高い言語のように思いますね。たぶん。

こういったフランス語で書くことの厳密さに加えて、個人的には翻訳語にも悩まされました。「契約」や「社会」や「秩序」など、これらの翻訳語の元になったヨーロッパの単語の本来の定義をたどると、自分の日本人頭で理解していることとは違ったりして、そのために日本語で書いた文章をフランス語に翻訳して意味が通らなくなったことが多々ありました。

翻訳語ってほんとに難しいですね。日本語の語彙にすっかり溶け込んでいるんだけど、でもそれはあくまで接ぎ木であって、その根っこや幹を知らなかったりするという。そしてそのズレがフランス人には見破られているという。厳しい!

 

論文を書くのに必要な分析の方法

日本語とフランス語の間でかなり試行錯誤した論文執筆でしたが、苦労(+フランス人の力添え)のかいあって、フランス語で意味の通るものは提出できた模様です。ということで言語的な問題はまあまあそれなりに解決できた。

そうなると残るのは論文の内容自体の問題点というか改善点なのですが、さすがに先生たちの指摘が的確でした。論文の内容抜きで指摘されたことだけ書いてもまあアレかもしれませんけど、まあなるべく一般的に通じる感じでいうと、私の書いたものの問題点は主に

  • 取り上げた作品が作られた当時の時代背景の掘り下げかたが足りない
  • 作品から抜き出した問題の原因分析の進め方が性急

ということでした。フランス語もちゃんとしてるし論文自体の体裁も整っているんだけど、分析の方法論的な部分に改善点が多いって感じ。

たぶんいろんなことを盛り込みすぎだったし、もっと分析する事象を絞って、時代背景も掘り下げて、自分が論じている事象の特殊性を似たような事象からどうやって区別できるか、というようなことを考えないとだめだったのかな、などと思います。

いやーほんとその通りです。アイヤァ。来年は方法論の本買うわ!←

 

論文執筆はもらえる経験値が多い

学部の時はなんだかよくわからずに卒業してしまったので、今回は本当に勉強になりました。まともな高等教育ってこういうものだったんですね!

大学卒業とか大学院修了とか、いまいちその価値にピンときていませんでしたが、ちゃんとした教育機関で高等教育を受けることには意味があるな、と思えるようになりました。信頼できる情報にあたり、様々な角度から問題について検討し、それを誰が読んでもわかるように言語化するというのは、これはたしかに能力です。

この言語化するというのがまた大切で、「知識があること」と「知識をもとにある程度の長さの論理的な文章を書くこと」はまた全然違う能力なんですね。文章にするには、曖昧な思考を整理して明確にしないといけないし、その過程で思わぬ発見があったりもするわけで。

学部レベルだとまだ基礎的な知識を蓄えるというところに比重が置かれているのではないかと思いますが、ある程度シリアスな論文を書く大学院レベルになってくると、書く過程で思考力や分析力を伸ばすことがどうしても必要で、アカデミックな知性を育てるにはこの過程がたいへん大切なように思えます。

いやはや、論文を書くってすごいことです。

 

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