小説は楽しむために読むとは限らないと言っても過言ではないのだ!

無駄に時効警察風です。新シリーズ見たいなー。

それはそうとして、タイトルはいちおう大学院の授業で思ったことの反映です。

もともと取る気はなかったのに、指導教官の先生が勧めてくれた現代文学の授業がおもしろくて 、テクストの読み方が変わりそうです。

 

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「面白くない」と思った小説でも

私にとって小説のよしあしというのは、主に以下の要因で決まるものでした。

  • 扱っている問題が自分にとって興味のあるものか
  • 文章やたとえのセンスが好きかどうか
  • 話の筋が面白いか

というわけで、個人的には村上春樹の小説はあまり面白さを感じられないんですよね。

騎士団長が出てくるのは別にいいんですけど、なんかこう免色の謎が未回収であるとか、ところどころに面白そうな問題を提示しておきながら未回収であるとか。

逆にどういうのが好きかというと、たとえば三島由紀夫の豊饒の海第一巻「春の雪」。

文章は当然美しいし、たとえもなんとも言えないし(砂時計のくだり!)、そのうえユーモアもあるし(齧歯類のくだり!)。

第四巻の「天人五衰」の最後でまた「春の雪」に繋がる、というか繋がらないところが、回収してくれた感があってとても好きです。

という感じでいろいろな小説を「面白くないよ」と思って生きてきたのですが、文学の研究をしている人の話を聞いたら、ことはそう単純ではないのであった。

 

要素を分解して分析すると

講義を聞いていて、小説を楽しむことと、テクストとして分析して読むことは全然別である、ということがわかりました。

自分ではどうも興味が持てず素通りしてしまいそうな小説でも、物語の構造や、人物に与えられた役割など先生が分析しているのを聞くと、「あ、この作品にも意味あるなあ」と思わずうなずいてしまう。

先日の授業では、ちらりと綿矢りさの「蹴りたい背中」の話をしていましたが、私、当時この作品をやはり一読してスルーしておりました。

しかし先生が、

「この作品では男子と女子の役割が従来のステレオタイプからすると逆である」

というようなことを仰っていて、あー確かに、とほとんど15年越しで膝を打ったのでした。

 

「読むこと」は思っていたより奥が深かった

というわけで、小説を読むということは、私が思っていたよりもっとずっと奥の深い作業であったようです。

思えば素人丸出しであったこれまでの私の人生、そのことに気づいただけでもありがたい。

勉強するって面白いですねぇ。もしかすると村上春樹の作品もこれから楽しめるようになるのかもしれない。

(日本の文学部で何してたんだ、という問題には触れないでおきます)

 

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